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4.リニューアルオープン


「ぼく、珍獣ボンゴです」〜苫小牧にお目見え 昭和59年7月

ライオン凍死事件が経営にも影響したのでしょうか、昭和58年6月、野生動物公園を経営していたD王が倒産します。借金返済のために別会社に賃貸という形で経営が譲渡されました。

その建て直しを計ったためか、翌年には大掛かりなリニューアルオープンが施行されました。


苫小牧のジョイランド○前・北海道野生動物公園に十七日夜、アメリカのダラス動物園から世界三大珍獣のひとつといわれる「ボンゴ」が送られてきた。

ボンゴはアフリカ中部の高地の森林にすむ牛科の草食動物。明るいクリ色の胴体にくっきり描かれた真っ白のシマ模様がトレードマークだ。パンダやオカピ(ジラフ科)と並ぶ珍しい動物で、
日本の動物園では初めてという

到着したボンゴは、動物業者を通じて輸入したもので、生後二年半の雄。体高一・二bほどで、まだ”大人”にはなりきっていないが、耳は大きくなかなかの風格。同公園では二十二日から一般に公開する。


ぼく、珍獣ボンゴです
「ぼく、珍獣ボンゴです」〜苫小牧にお目見え


 広告もボンゴを前面に出し、大きくスペースを取って行われています。

幻のボンゴ日本初上陸(クリックで大きいサイズ表示)

この珍獣は、中央アフリカから西アフリカの森林地帯に棲息するため観察例がなく、このチャンスを逃しますと二度と見られないと言っても過言ではありません。と書かれています。

勢いづいた野生動物公園。翌月にはこんな話題が紙面を賑わせます。



エリマキトカゲとヒグマ交換〜インドネシアと苫小牧の動物園 昭和59年8月

<ジャカルタ27日共同>
ジャカルタでこのほど、日本とインドネシアの動物園の間で進められていた動物交換の話し合いがまとまった。
動物交換は両国間では初めてで、早ければことし中に実現する見通し。インドネシアからは日本で人気が出たエリマキトカゲ、日本からは北海道のヒグマなどが送られることになった。

動物交換を行うのはインドネシアでは最大のジャカルタ州立ラグナン動物園と苫小牧市の北海道野生動物公園。先月末インドネシアを訪れた同動物公園の I さんが約二週間にわたりインドネシア側と折衝、交渉成立にこぎつけた。


インドネシアから来るのは、イリアン・ジャヤ産のエリマキトカゲ六匹のほかルトンと呼ばれる黒色の尾長猿(体長約七十五a)各二つがい。いずれも愛きょうがあり、子供達に人気のある動物。これに対し、日本からはヒグマ二頭、キタキツネ、ニホンザル各二匹が親善交流の”使者”になる

ラグナン動物園のスタルマン飼育課長によると、現在同動物園にいる日本の動物は西ドイツから数年前に送られたサンショウウオだけで「これをきっかけに相互交流をもっと盛んにし、ジャカルタ市民に珍しい日本の動物をたくさん紹介したい」という。<後略>

”目玉にしたい”
北海道野生動物公園・Y社長の話
大切に育てて動物公園の”目玉”にしていきたい。ほかに手長猿など愛きょうのある動物がくるので、子供達に喜んでもらえると思う。

エリマキトカゲと交換される北海道野生動物公園のヒグマの一頭(上)と、エリマキトカゲ(下)
エリマキトカゲと交換される北海道野生動物公園の
ヒグマの一頭(上)と、エリマキトカゲ(下)

すごいですね! 地方の小さな動物園が、国境を越えての交流を持つなんて、滅多にできるものではないと思います。

ただし、この後新聞を追ってみても、交換した記事が見つからないので、実際に行われたものかどうかは不明です。
もう一つ難を言うと、写真のヒグマの檻はやっぱり狭い…。



それでも、ジョイランドに関するニュースをお伝えする中で、初めて明るい話をお届けできた気がします。

良かった、良かった。









本当はこれで終わりたかったのですが…。





ある記事を見つけてしまいました。



「珍獣ボンゴ 死ぬ 〜上野動物園パンダにつづき悲報」昭和55年11月

パンダと並ぶ世界の四大珍獣の一つで日本でただ一頭しかいないという東京・上野動物園のボンゴ「ボン ボン」(オス、推定十二歳)が二十二日朝、死んだ

雨が降ると体に付いたしずくがチョコレート色に見える、というのがボンゴの特徴で、牛科のレイヨーの一種。アフリカ東部の森深くに住む足の速い動物だ。生息数が少ないうえ、臆病で捕獲が極めて難しいためジャイアントパンダ、オカピ、コビトカバとともに世界の四大珍獣といわれている。
ボンボンの死んでいるのが見つかったのは二十二日午前七時。いつものように朝食の準備に出かけた飼育係が寝小屋で冷たくなっていたのを発見した。


日本にやって来たのは四十七年二月、チョコレート色の体に白い十四本の縦じまが人気を呼んだが、最近は珍獣であることを知る人も少なかった。

上野動物園での生活は八年九ヵ月、この間ずっと"独身生活"を続けた。五十年には花嫁をもらう話もあったが、花嫁が日本に運ばれる途中に死亡するという女運の悪い"一生"だった。

解剖中ではっきりした死因はまだわかっていないが、ボンゴの飼育最長記録はニューヨークの十八年。同動物園では「身軽なはずのボンボンだが、ここ数年首の周りに厚い脂肪層が目立っていたので気をつけていたのだが…」とパンダ、ゴリラと相次ぐ動物の死にガックリ肩を落としている。
ボンゴの体長は二b、体重三百`、角の長さは九十センチあった。

「珍獣ボンゴ死ぬ〜上野動物園パンダにつづき悲報

「珍獣ボンゴ死ぬ〜上野動物園パンダにつづき悲報



昭和47年、ボンゴは来日してました!!!

それじゃ、「幻のボンゴ日本初上陸!」って、事実誤認?誇大広告?

今となっては、こう呟きたくなります。「これがジョイランドクオリティー……」

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